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岡山地方裁判所 昭和45年(ワ)692号 判決 1976年4月21日

原告

小坂静枝

ほか二名

被告

山陽町

ほか一名

主文

一  被告山陽町は、原告小坂静枝に対して金八五二万〇、二八三円、原告小坂喜雄に対して金一七五万四、九〇九円、原告中嶋紀子に対して金三三万六、〇〇〇円およびこれらに対する昭和四四年一二月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二  被告山陽町に対する原告小坂静枝、同中嶋紀子のその余の請求、被告河本桂太に対する各原告の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告山陽町について生じた分はこれを五分し、その四を被告山陽町の、その一を原告らの、被告河本桂太について生じた分は原告らの、原告らについて生じた分はこれを五分し、その一を原告らの、その四を被告山陽町の、各負担とする。

四  原告小坂静枝が金一七〇万円、原告小坂喜雄が金三五万円、原告中嶋紀子が金六万円の担保を供したときは、担保を供した原告について、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告小坂静枝に対し一、一八七万二、九三四円、同小坂喜雄に対し一七五万四、九〇九円、同中嶋紀子に対し八〇万五、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四四年一二月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  交通事故の発生

(1) 日時 昭和四二年一一月二八日午後六時五五分頃

(2) 場所 岡山県赤磐郡山陽町西中一七三番地の二地先山陽町町道(以下「本件町道」という。)上

(3) 事故の態様

原告小坂静枝(当時四五歳、以下「原告静枝」という。)が第二種原動機付自転車(通称カブ、以下「原告車」という。)を運転して本件町道を東進中、道路の水溜りになつていた凹み(道路中央部にあつた長さ約一・八メートル、幅約〇・七メートル、深さ約一五センチメートルの穴)にハンドルをとられて転倒した(以下「本件事故」という。)。

(4) 原告静枝の傷害の程度

原告静枝は道路上に転倒して頭部外傷の傷害を負い、直ちに川崎病院に入院し、その後岡山労災病院に転院して治療を受けてきたが、四肢麻痺、右動眼神経麻痺、右瞳孔散大対光反射皆無、言語障害、思考判断力喪失の後遺障害が残り、歩行は不能、食事も自力ではとり得ない状態で全くの廃人となり、昭和四五年八月三一日に岡山家庭裁判所において禁治産の宣告を受けるに至つた。

2  被告らの責任

(1) 被告山陽町(以下「被告町」という。)の責任

本件町道は山陽町道であり、被告町が管理していたものであるが、本件事故発生の三か月位前から、本件事故発生場所付近の本件町道には、前記の原告車の車輪が落込んで原告静枝がハンドルをとられた穴のほかその東方に道路中央から道路南側にかけて一〇数か所点々と大小の穴があり、ことに原告車が落ち込んで原告静枝がハンドルをとられた穴は、前記のとおり道路中央にある長さ一・八メートル(道路幅三メートル)、幅〇・七メートル、深さ一五センチメートルの穴で、しかも本件町道に防じん舗装が施されていたため、穴の縁が垂直状になつていて、車両、殊に原告車のような二輪車が車輪を落込ませると、ハンドルをとられて転倒するなどの危険性のあるものであるうえ、本件事故当夜のように降雨があり、穴に水が溜まつた場合、特に夜間には穴の存在及びその形状等が判別しにくい状態になるのであるから、被告町としては、直ちに修理するかあるいは道路通行車両等に対し危険箇所を知らせる標識(道路標識)令第二条により、危険箇所の手前三〇メートルから一二〇メートルの地点の道路の左端に一定の標識を設置すべきである。)を設置すべきであつたにもかかわらず、本件事故発生に至るまでの約三か月間何ら修理をせず、また危険箇所の存在を表示する措置もとることなく放置していたものである。

右のとおりで、被告町の管理にかかる本件町道には、その管理上の瑕疵があつたもので、本件事故は右の瑕疵に起因するものであるから、被告町は国家賠償法二条一項により、本件事故による損害を賠償する責任がある。

(2) 被告河本桂太の責任

被告河本は、本件事故当時被告町の町長であり、被告町の機関として本件町道の管理にあたつていた者であるが、前記のとおりその管理につき重大な過失があつた。ところで、町長などの地方公共団体の長は、一般の公務員と異なり他の上級公務員の指揮命令に従つてその職務を行うものではなく、自ら率先して住民からの受託者として住民の繁栄と福祉増進を図るべき責務を負つているのであつて、その任務懈怠がある場合には、それによつて生じた結果につき国家賠償法により公共団体が責任を負う場合であつても、個人としても責任を負うべきであるから、被告河本は民法七〇九条により、本件町道の管理上の過失に因つて発生した本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき義務を負つたものである。

3  損害

原告静枝は、共立女子専門学校卒業後昭和一六年以来青年学校、国民学校、高等女学校の各教諭の職にあり、昭和二七年一一月以来岡山県瀬戸高等学校の教諭として勤務していたものであるが、本件事故による傷害のため昭和四三年五月一七日に休職となり、昭和四五年五月一六日に退職した。

原告小坂喜雄(以下「原告喜雄」という。)は、昭和二一年五月二八日原告静枝と結婚、二男一女をもうけ、原告中嶋紀子(以下「原告紀子」という。)は、静枝、喜雄の長女である。

右原告三名は本件事故によりいずれも損害を蒙つたが、その損害及び損害額は別紙損害計算書記載のとおりとなる。

右損害計算書記載の原告静枝の治療費関係(ハ)記載の療養費は、公立学校共済組合岡山支部が立替え支払つたもので、原告静枝はこの返還を請求されているため被告らに対し請求するものである。

4  よつて、原告らは被告らに対し本件事故による損害の賠償として、別紙損害計算書記載の金額(前記第一の1に記載の金額)、およびこれに対する原告代理人が被告らに対し賠償請求をした昭和四四年一〇月二九日の後である同年一二月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実のうち、原告静枝が原告ら主張の日時、場所で、原告車を運転して本件町道を東進中、道路上に転倒したこと(本件事故が発生したこと)、原告静枝が本件事故により傷害を負い、川崎病院に入院治療を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2の(一)の事実のうち、本件町道が山陽町道であり被告町が管理していること、本件事故当時本件町道の本件事故発生地点付近の道路中央部付近ほか二、三か所に穴があり、降雨のため右の穴に泥水が溜つていたこと、本件町道は防じん舗装道路であること、本件町道に警戒標識を設置していなかつたことはいずれも認めるが、その余の事実は知らないし、本件町道の管理に瑕疵があつたという主張は争う。

本件事故は、原告静枝が本件町道の穴によつて原告車のハンドルをとられて転倒したものではなく、高速度で走行していて操作を誤り、折りからの降雨でスリツプして転倒したものであるが、たとえ本件事故が、原告車が本件町道の穴に落ちたことに因つて発生したとしても、左記のとおり本件町道には、その管理について何ら瑕疵はなかつた。

(1) 本件町道は山陽町西中地区を、東は県道岡山、林野線に、西は県道山口、山陽線にそれぞれ通ずる幅員四メートルの道路(山陽町道西中本線)であり、昭和四一年頃から被告町は車両の通行による砂じんから農作物を保護するため、本件町道のうちの幅員三メートルの部分を防じん舗装し、その維持、補修については町道管理規則を改正して、山陽町町道防じん舗装修繕実施要領(以下「修繕実施要領」という。)を定めこれに従つて実施していたものである。

即ち、修繕実施要領によつて被告町は毎月一日、一〇日、二〇日の三回、町道の巡回を行い、要修繕箇所を確認した場合は、一年を四期に分けた各期首の五日ないし二〇日までの期間に修繕を行うこと、被告町は関係部落の区長立会の下に要修繕箇所を確認の上、修繕実施の計画を該区長に伝達し実施することなどが定められており、被告町はこれに従い本件町道につき定期的な巡回を実施してきたものであり、昭和四二年一〇月中から本件町道を大型自動車が通行するようになつて、同年一一月頃に本件町道の一部に穴が生じたので、町道管理規則に従い関係部落区長に砂を入れさせるなどの応急措置をとり、さらに、本格的補修は、右路面の穴の補修について補修作業の賦役、砂、砕石の提供をする西中地区住民の希望により、稲の刈り入れの終る同年一一月末ないし一二月初めに実施する旨決定していたものである。

(2) 本件事故が発生した時期は、修繕実施要領によつて定められた補修を実施すべき時期ではなかつたのであり、また本件町道の補修は、防じん舗装工事を行うものであるため、技術的に降雨の前後は避けるべきものとされており、同年一一月中は連日のように降雨があり、事実上も補修はなし得なかつた。

(3) 本件町道にできていた穴は、通常の注意をもつて通行すれば、何ら危険ではなく、夜間でも車両の前照燈によりその五〇メートル手前から容易に発見することができたから、通行に危険性はなく、本件事故当時相当数の車両が本件町道を通行していたが、本件事故のほかは何らの事故も発生していなかつたのであり、また、隣接市町村の道路には本件町道にあつた穴と同程度の穴が多数みられるが、かような道路においても、穴のために事故が発生した例はないのであるから、本件町道にあつた程度の穴では、警戒標識を設置する必要がなかつた。

(4) 本件町道に施されていた防じん舗装は、前記のとおり農作物の保護を主たる目的とするものであるから、舗装の厚さは約三センチメートルと薄く、本件町道は自動車による安全かつ円滑な交通の確保を目的とした道路ではないから、本件町道の一部に穴があつても、道路として予期ないし予定された性質を欠くものではない。

3  同2の(二)の事実のうち、被告河本が本件事故当時、被告町の町長であつたことは認めるが、被告河本が本件事故について賠償責任を負うという主張は争う。

本件町道は山陽町道であり、市町村道の管理者は道路法一六条により路線を有する市町村であるから、被告河本は道路管理者ではなく、道路管理者たる被告町の代表機関にすぎない。

そして、国家賠償法一条の適用ある場合には国または地方公共団体のみが責任を負い公権力の行使にあたる公務員は一般職であれ、特別職であれ個人として被害者に対して直接賠償責任を負わないとするのが通説であり、判例の支配的見解であり、同法二条の場合も同様に解されるから、仮に被告河本に道路の管理につき重大な過失があつたとしても個人として原告らに対して賠償責任を負うことはないのである。

4  同3の事実は知らない。

なお、原告静枝の退職金および恩給の各差額損失の計算について、昭和五二年三月三一日に退職した場合に受取るべき退職金および恩給を現在受取るものとして現実に受取つた金額との差額の計算がなされているのは正しくなく、同日までの中間利息の控除がなされなければならない。また、原告静枝の治療費関係のうち、療養費は地方公務員等共済組合法に基づいて受けた療養給付であるが、同法に基づく給付については同法五〇条に第三者求償の規定が設けられていて、公立学校共済組合が給付額の限度で第三者に対する損害賠償請求権を取得する旨定められており、原告らが被告から取立てて同組合に返還する必要はないから、損害額の計算から控除されなければならない。

原告紀子が勤務先を退職して原告静枝の付添をしたことにより失つた給与は、他の者に付添費を支払つて行わせるのに代えて付添を行つた場合に損害として賠償を請求できるものであるところ、原告静枝の損害額の計算において付添婦の日当等が計上されているから、重複することになるので、原告紀子の損害として重ねてその賠償を請求することはできない。

三  被告らの抗弁

仮に、本件町道の管理につき瑕疵があつたとしても、原告静枝は本件町道の状態を熟知しており、前記のとおり夜間でも車両の前照燈の照射により五〇メートル手前から道路の穴を発見することが可能であつたのであるから、通常の注意をもつて走行すれば本件町道の穴を容易に避けることができたのであり、しかも本件事故当日降雨でタイヤがスリツプしやすい状況であつたのであるから、走行速度に注意し、減速ないし徐行すべきであつたにもかかわらず、同原告は前方注視を怠り高速度で走行したため道路の穴にハンドルをとられて転倒したものであつて、原告静枝の右過失は重大であるということができるから、本件事故に因る被告町の損害賠償額を定めるについて斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する原告らの認否

原告静枝に本件事故の発生について何らかの過失があつたことは認めるが、その余は否認する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  本件事故の発生および原因

1  昭和四二年一一月二八日午後六時五五分頃、山陽町西中一七三番地の二地先の本件町道を、原告静枝が原告車を運転東進していて路上に転倒したこと(本件事故が発生したこと)は当事者間に争いがない。

2  いずれも成立に争いのない甲第一号証、同第八号証の一、二、昭和四二年一一月二九日、本件事故現場附近を撮影した写真であることに争いのない甲第九号証の一、二、証人岩本新一の証言によつて真正に作成されたと認められる乙第二号証の三、および証人鳥越邦泰、同小竹森正敏、同内田寛、同岩本新一、同小川美代子の各証言、原告小坂喜雄本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を合わせて考えると、次の事実が認められる。

(1)  本件町道は赤磐郡山陽町西中地区を東は県道岡山、林野線に、西は県道山口、山陽線にそれぞれ通じている山陽町道であり、幅員約四メートルで、そのうち中央部の幅員約三メートルの部分が、昭和四一年秋頃に、沿道の住家、果樹等の車両の通行により発生する埃による被害を防ぐことを主たる目的とした防じん舗装(路面にタール材を撒布した上に厚さ約三センチメートル位に砕石、砂を敷き、さらにタール材を撒布して押し固める、という工法による舗装であり、いわゆる簡易舗装よりもさらに簡易な舗装)されたが、昭和四二年九月ごろから、県道山口、山陽線の改修工事が施行され、これに伴なう交通規制により、従来同県道を通行していた附近所在の山土採取場へ出入するダンプカー等の大型車両がひんぱんに本件町道を通行するようになつたため、急速に本件町道の路面に損傷箇所が生じるようになつた。

(2)  本件町道は県道山口、山陽線との三差路交差点(以下「本件町道西側進入口」という。)からほぼ東方へ直線状に通じていて、右交差点から東方へ約五〇ないし六〇メートル位の間は緩かな下り勾配となつているが、その東方は勾配のない状態になつている。本件事故当時、本件町道西側進入口から約七〇メートル余り東方の、右の緩かな勾配のある部分が終つて、勾配のない状態となつて間もない処に、本件町道の舗装部分(幅員約三メートル)の南側側端から約一・〇メートルの処から北側側端から約〇・二メートルの処までの間の南北の長さ約一・八メートルの路面部分に、中間に約二〇ないし三〇センチメートルの間隔をおいて、南北の方向に並んだ二個の穴があつた。右の二個の穴のうち南側のものは、直径約五〇ないし六〇センチメートル位の不整形円形、深さ約一五センチメートル位で、かつその縁の部分が急角度で落込んでいた。北側の穴は、南北の長さが約九〇センチメートル位、東西の長さが約七〇センチメートル位の不整形楕円形で、南側の穴に比して深さも浅く、かつ縁の落込みも緩やかであつた。右の二個の穴より東方の本件町道の中央より南側の部分には、右二個の穴から約二〇メートル位の間に点々と五、六個の穴があつた。本件町道西側進入口の両側角には人家があるが、それより東方は両側ともに田圃であり、かつ本件町道上に対する夜間の照明設備は何もない。

(3)  本件事故当日降雨があつて、本件事故が発生した頃には、右認定の本件町道路面にあつた穴には雨水が溜つた状態になつており、また、本件事故が発生した頃には、霧がかかつたような状態になつていて、通常の夜間以上に視界が不良であつた。

(4)  本件事故当夜、原告静枝は県道岡山、林野線の本件町道との交差点近くにある定期バスの五日市上の停留所へ、夫の原告喜雄を迎えに行くため、原告車を運転して肩書住所の自宅を出て、県道山口山陽線を南進し、本件町道西側進入口を左折して本件町道に入り東進した。そして、原告喜雄と同じ定期バスに乗車して来て、五日市上停留所で下車し、同所からそれぞれ自転車に乗つて本件町道を西進して来た小川美代子ほか一名が、午後七時頃、本件町道西側進入口の東方約九八メートル(前記の南北に並んだ二個の穴の東方約一九・五メートル)の本件町道のほぼ中央部に頭を南側、足を北側とし、仰向けに転倒していた原告静枝を発見した。原告車は原告静枝の足の北側約一メートル位の本件町道上に、前部を西、後部を東に向けて(原告静枝が運転進行していた方向と反対の方向を向いて)転倒しており、前記の南北に並んだ二個の穴の東方約七・五メートルの本件町道のほぼ中央の地点から転倒していた原告車の前部附近までの約一二メートルの間にわたる本件町道の路面に、原告車のステツプによる擦過痕と考えられる痕跡が、僅かに北側へよるように斜めに、かつ断続的に残されていて、原告車の右側、前後のステツプがともに曲損し、右側ハンドルカバーが破損していた。

(5)  原告静枝は昭和三〇年頃以降、原動機付自転車を運転して勤務先の岡山県立瀬戸高等学校へ通勤していたが、本件町道は右通勤の経路には含まれていなかつた。

右のように認められる。証人内田寛、同岩本新一、同小竹森正敏の各証言のうちには、本件町道西側進入口から原告静枝が転倒していた位置までの距離は約一五〇メートルである旨の各証言、原告小坂喜雄本人の供述のうちには、右の距離が約三〇メートル足らずである旨の供述があるが、右の各証言、供述は、いずれも当該証人、本人の推定に基くものであることが各証言、供述自体から明らかであるから、右認定にそう証人小川美代子の証言に照らすと、右認定を覆すに足りない。他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

3  右2認定の各事実、とくに本件町道西側進入口から東方約七〇メートル余りの本件町道路面にあつた南北に並んだ二個の穴の位置(東進する二輪車が、本件町道の進行方向左側(北側)部分を進行した場合には、右二個の穴が並んでいる処では、路面の舗装部分のうち穴でない部分は、二個の穴の間の幅約二〇ないし三〇センチメートルの部分と左側(北側)側端の幅約二〇センチメートルの部分のみであるから、右二個の穴のうちのいずれかの穴に車輪を落込ませる蓋然性が極めて大きい)、状態、原告車の右側ステツプによるものと考えられる路面の擦過痕のあつた位置、状態、原告静枝、原告車が転倒していた位置、状態などから考えると、原告車の車輪が前記の南北に並んだ二個の穴のうちのいずれかに落込んだことによる車体の急激な動揺によるものであるのか、原告静枝が原告車の車輪が右の穴に落込むことを避けようとして急激なハンドル操作をしたことによるものであるのか、いずれであるかを断定することはできないが(しかし、いずれかといえば、前記の二個の穴のうちの南側の穴に原告車の車輪が落込んだことの蓋然性が最も大きいということはいえる)、いずれにしても前記二個の穴があつたことに起因して、原告車が平衡を失い、右側に傾きながら約一九メートル位進行したすえ、原告静枝は路上に転倒し、原告車は半回転して転倒停止したと推認するのが相当である。

前記2の(4)認定のとおり、原告車のステツプによると考えられる路面の擦過痕は、前記の二個並んだ穴のうちの南側の穴の東方約七・五メートルの地点から始まつていて、かつ約一二メートルの間にわたり断続的についていたものであるが、原告車が平衡を失い始めてから、そのステツプが路面に接触するに至るまで傾くには些少なりとも時間を要することは当然であり、その間も原告車は進行を続けること(時速三〇キロメートルでは一秒間に約八・三メートル進行する)、および原告車がその右側ステツプが路面に接触するに至るまで傾いたときには、原告静枝はその右足をステツプにのせたままの状態でいることはできず、右足はステツプから離れて路面につく状態になるのが自然であり、その場合右足で路面を押して原告車の傾きを立て直そうとする動作をしたであろうことは推測するに難くないことを考えると、前記認定のとおりのステツプによる擦過痕の位置、状態は、前記推認を妨げるに足りない。

4  被告らは原告静枝が普段から原告車を高速度で運転しており、また本件事故前にも数回交通事故(自損事故も含む)を起したことから考えると、本件事故も、路面が湿つていたにかかわらず原告車を高速で運転していたためスリツプし転倒したものであつて、本件事故は本件町道の路面に穴があつたことに起因するものではない、と主張し、証人岩本保正、同中桐正義の各証言によると、原告静枝は普段通勤等に原告車を運転する場合に、原動機付自転車の走行速度としては高速であると感じられるような速度で運転していることがままあつたことがうかがわれ、また本件事故前に自損事故を含め数回交通事故(人身事故)を起したことがあることが認められるけれども、前記2の(2)認定のとおり、本件町道はその西側進入口から東方へ約五〇ないし六〇メートルの間が緩かな下り勾配になつてはいるが、直線状になつているのであり、前記の南北に並んだ二個の穴のほかには、走行中の原動機付自転車がスリツプを起す通常の原因である急激なハンドル操作(方向転換)または急制動操作を行う原因になると考えられるような道路の状態、その他の事実があつたことを認めるべき証拠はないことと前記2の(2)、(4)認定の南北に並んだ二個の穴の位置、状態、原告車のステツプによるものと考えられる路面の擦過痕の位置、状態に照らして考えると、本件事故が右の二個の穴の存在と無関係の原因によつて発生したと考えることには合理性がないから、被告らの右主張は失当である。

二  被告らの責任

1  被告町の責任

(1)  本件町道が被告町が管理している道路であることは、当事者間に争いがない。

(2)  前記一の2の(1)、(2)認定事実および本件事故当時、右認定の本件町道の路面に南北に並んだ二個の穴があつた箇所に、右穴の存在による通行上の危険を警告表示する道路標識が設置されていなかつたことは当事者間に争いがないことからすれば、本件事故当時、本件町道の右の二個の穴のあつた箇所は、夜間、ことに降雨によつて右の穴に水が溜り、車両の前照燈のみによつては、穴の存在、その形状等を判別することが困難な状態となつた時期に、本件町道を通行する二輪の車両、なかんずく東進する(東進する車両が通行すべき本件町道の進行方向左側部分の幅員の殆んどを占めるような状態で、右二個の穴が存在していたことになる)自動二輪車、二輪の原動機付自転車等が、右の穴の存在が原因となつて車体の平衡を失い、転倒するに至る危険のある状態にあつたということができる。ところで、本件町道は一般交通の用に供されている道路であり、前記のとおり県道岡山、林野線と県道山口、山陽線の連絡路であつて、成立に争いのない乙第一号証の二、被告河本桂太本人尋問の結果によると、被告町の山陽町町道管理規則によつて定められている町道の種別上、主要町道に属するものであることが認められることからすれば、本件町道の沿線が田園地帯であつて交通量ことに夜間の交通量は少ないものであるにしても、本件町道の前記二個の穴のあつた箇所は、本件町道が有すべき交通上の安全性に欠けていたもの、すなわちその管理に瑕疵があつたものと認めるのが相当である。

(3)  前掲記の乙第一号証の二、同第二号証の三、証人岩本新一の証言によりいずれも成立の認められる乙第二号証の一、二、および証人内田寛、同岩本新一の各証言、被告河本桂太本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を合わせて考えると次の事実が認められる。

(イ) 被告町は、その管理している町道においても自動車の交通量が急激に増加したことから、昭和四〇年一〇月頃から主たる目的を前記認定のとおりとした町道の防じん舗装に着手し、昭和四二年九月頃までには町道の約九割に防じん舗装工事を実施したが、これに伴ない同年四月、修繕実施要領を定め、同年一〇月、それまでの町道の管理に関する規程を廃止して新たに山陽町町道管理規則(以下「町道管理規則」という)を制定施行した。

(ロ) 修繕実施要領によつて、被告町は毎月三回(一日、一〇日、二〇日)町道の巡回を行なつて、要修繕箇所を確認し、一年を四半期(一月から三月、四月から六月、七月から九月、一〇月から一二月)に分けそれぞれの期首(但し一月から三月までの四半期については一二月とする)の五日ないし二〇日までの期間に修繕を行うこととし、この修繕については被告町が舗装用タール材、トラツク、タールスプレーヤー等の機械器具を提供し、関係部落が砂、砕石等の資材費、工事作業の労役を負担することなどが定められており、町道管理規則も町道の管理行為の実施者、経費の負担者、工事の施行方法等について定めている。

(ハ) 被告町は本件町道について修繕実施要領に従い巡回を行つていたところ、昭和四二年九月末頃、前記認定のとおり大型車両が頻繁に通行するようになつたことから急激に路面に穴等の損傷箇所が生じたので、その頃、通行大型車両の利用者である土木業者、沿道部落である西中部落の住民等に、損傷箇所の応急的補修として土入れをさせ、同年一〇月頃にも再び土入れをさせた。そして、町道管理規則、修繕実施要領によつて、本件町道の防じん舗装による補修についての費用の一部、作業労務を負担することに定められている関係部落である西中、上仁保部落の区長らと損傷箇所の補修の実施について協議したところ、米の出荷の終る同年一二月初頃までは、部落民が繁忙で補修作業労務に出役ができず、また補修工事のために本件町道の通行が禁止されると、農作業の実施、米の出荷等にも支障を生じるので、右補修工事は米の出荷期が終了してから実施してもらいたい旨の申出がなされたので、被告町は米の出荷期が終了する同年一二月初旬以降に、本件町道の防じん舗装による補修工事を行うことを予定していた。

右のように認められ、右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被告町はその制定した町道管理規則、修繕実施要領に基いて本件町道の巡回を行い、その損傷箇所の補修についても、町道管理規則、修繕実施要領に則つて実施していたということはできるが、そうだからといつて、客観的にみて本件町道が道路として有すべき交通の安全性に欠けていた以上、その管理に瑕疵があつたということを否定することはできないものといわなければならない。そして、本件事故の際、本件町道に前記のような危険箇所があつたことが不可抗力に因るものであること(前記の二個の穴を、土入れ等の応急処置によつてでも、一応危険のない状態に補修しておくことがなされていなかつたこと、および右危険箇所の存在を警告表示する方法がとられていなかつたことのいずれもが不可抗力に因るものであること)を認めるに足りる証拠がない以上、被告町には、本件道路の管理の瑕疵についての責任があるといわなければならない。

2  被告河本桂太の責任

原告らは、被告河本は本件事故当時被告町の町長として本件町道の管理にあたつていたものであるところ、その管理につき重大な過失があつたから、他の一般公務員と異なつて上級者の指揮命令に従つてその職務を行うものでない町長の職にあつた被告河本は、個人としても本件町道の管理の瑕疵に基く本件事故による損害の賠償責任を負う旨主張する。

本件事故当時被告河本が被告町の町長であつたことは当事者間に争いがないが、被告河本が個人としても本件町道の管理の瑕疵に基く本件事故による損害の賠償責任を負うという原告らの右主張自体にわかに同調できないものであるのみでなく、本件町道の管理に瑕疵があつたことについて、本件町道の管理者たる被告町の機関である町長の職にあつた被告河本に、本件町道の管理行為の履行上重大な過失があつたことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用できない。

三  過失相殺

1  前記一の2の(2)認定の、本件事故当時の本件事故発生地点附近における本件町道の路面の状態からすれば、二輪の原動機自転車を運転して本件町道を東進して、前記の南北に並んだ二個の穴がある箇所を通行する場合に、一時本件町道の南側部分(進行方向右側部分)に進路を変えることによつて、車輪を右の二個の穴に落込ませないで安全に通行することも、また充分に減速徐行することによつて、車輪を右の二個の穴のいずれかに落込ませても、車体の平衡を失うことなく安全に通行することも可能であつたということができる。

2  前記一の2の(3)、(5)認定事実、および舗装された国道、県道等の主要幹線道路、市街地内の道路以外の道路においては、路面の状態に、車両の通行に対する充分な安全性が確保されていない箇所が多くあることは、公知の事実であることを合わせて考えると、原動機付自転車の運転経験年数の長い原告静枝が、平素通行していないため路面の状態を知悉していない本件町道を、夜間しかも霧がかかつたような状態で通常の夜間より以上に視界の不良な状態の際に、原告車を運転走行するについては、原告車の前照燈の照明によつて確認できる範囲の進路前方の路面の状態に応じて、安全な走行のため運転操作ができるように、進路前方に対する注視に特段の注意を払うとともに、低速度で走行すべき注意義務があつたということができる。

3  前記一の2の(4)認定の南北に並んで二個あつた穴の位置、状態と原告静枝が転倒していた位置、原告車のステツプによると考えられる路面の擦過痕があつた位置、状態、原告車が転倒していた位置、状態等から考えると、原告静枝は右二個の穴によつて路面に生じていた水溜りの部分を、原告車の車体の平衡を失わせないような安全なハンドル操作によつて右部分の走行を回避することができ、もしくは路面の変化状態(穴の縁の部分の角度、深さ等)を確認することができない水溜り部分を走行することに因つて原告車に動揺等が生じても危険がないように減速等の準備警戒措置をとることができる時間的余裕がある地点、走行状態で発見することができなかつたものと推認するのが相当であるから、原告静枝には右2の注意義務を怠つた過失があつたということができる。そして、右のような原告静枝の過失の内容と前記二のとおりの本件町道の管理についての瑕疵の内容、被告町が行つていた本件町道の補修についての処置等を比較衡量すると、本件事故発生の原因としての原告静枝の右過失の割合を四割とみるのが相当であると考える。

四  原告静枝の傷害の程度

いずれも成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一、二、同第一二号証の一、同号証の六九の一、および原告小坂喜雄本人尋問の結果によると、原告静枝は本件事故により頭部外傷の傷害を負い、本件事故当日の昭和四二年一一月二八日直ちに川崎病院に入院して治療をうけ、その後昭和四三年六月一〇日岡山労災病院に転院し、昭和四七年一一月一三日まで同病院に入院して治療をうけたこと、しかし脳の損傷による思考判断力の欠如、言語障害、感情失禁、右動眼神経麻痺による右眼瞳孔の散大、四肢の運動麻痺による起立、歩行の不能等の後遺障害が残り、食事、排便等も他人の介助を要し、昭和四五年八月三一日には岡山家庭裁判所において禁治産宣告を受け、現在においても右症状に特段の変化がみられず、機能回復訓練をしても現症状の悪化を止めるに過ぎず、将来症状の治癒軽快は期待できないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告静枝は精神に著しい障害を残し、終生稼働することができないことは勿論、その生存自体に他人の介護を要するものということができ、右後遺障害は自動車損害賠償保障法施行令別表の第一級に該当する。

五  損害

1  原告静枝の損害

(1)  給与等の損失

成立に争いのない甲第四、五号証、証人浅井次郎の証言により成立の認められる同第六号証の一、二、および証人浅井次郎の証言、原告小坂喜雄本人尋問の結果によると、原告静枝は大正一〇年一〇月二六日生れで事故当時満四六歳の女性で、共立女子専門学校卒業後、岡山県の青年学校、国民学校の教諭を経て昭和二八年四月一日岡山県公立学校教員に任命され、同日同県瀬戸高等学校教諭となり、以来同校に勤務していたものであるが、本件事故による受傷により昭和四三年五月一七日休職となり、昭和四五年五月一六日には退職を余儀なくされたこと、岡山県立高等学校の教員の定年は定められていないが、女性の場合五五歳で退職勧告を受け大多数が退職するのが実情であるから、原告静枝も少なくとも右年令になつている昭和五二年三月三一日(年度末)までは在職し得たこと、原告静枝は本件事故当時、昭和四二年岡山県条例第五五号による同県職員給料表教育職二等級一九号給の給与を得ていたが、本件事故前においては毎年定期に昇給してきており、休職後の昭和四三年七月一日から昭和四三年岡山県条例第四九号による同県職員給料表教育職二等級二〇号給に昇給したが、休職しなければ昭和四三年一月一日から同号給に昇給し、月額六万九、七三二円の給与を受け得たとともに前記の退職予想時期までの間も毎年定期に昇給し得たこと、そして前記の退職予想時期までの昇給時期と俸給額は別紙計算表記載のとおりとなること、さらに原告静枝は毎月の給与の他に少なくとも毎年一二月に給与の二・五か月分の期末、勤勉手当、三月に〇・五か月分の勤勉手当、六月に一・四か月分の期末、勤勉手当の支給をうけていたことが認められ、これに反する証拠はない。

そこで右認定の昇給予測に基づく俸給額により、原告静枝が休職した昭和四三年五月一七日から前記の退職予想時期である昭和五二年三月末までの各年別の得べかりし給与、期末、勤勉手当収入のホフマン式計算法による年五分の中間利息を控除した昭和四四年一二月一日における現価は、別紙計算表記載のとおりとなり、合計一、〇〇二万七、四八六円となる(円未満四捨五入。以下同様。なお昭和四三年度分については総額一一〇万五、九七二円のうちから原告静枝が自認している一月一日から休職に至る五月一六日までの約四・五か月分の四三万〇、四一〇円を控除する)。

ところで、原告静枝が昭和四三年五月一七日の休職時から昭和四五年五月一六日退職時までの間の給与、手当として合計二〇八万五、二三三円の支給をうけたこと、および右退職時から前記の退職予想時期である昭和五二年三月三一日までの間年額四八万七、九一六円の恩給給付をうけたことは、同原告が自認しているところであるから、右認定の得べかりし給与、手当収入から原告静枝が自認している右収入金額を控除すると結局四六〇万八、一六一円となり、これらが原告静枝が本件事故により被つた給与、手当の逸失損害額となる。

(2)  退職金損失

前掲記の甲第六号証の一、二によると、原告静枝が前記の退職予想時期である昭和五二年三月三一日に退職した場合に受取るべき退職手当は、前記認定の昇給予測に基づく俸給額を基礎として岡山県職員の退職手当に関する条例五条一項、初任給昇格昇給等の基準に関する岡山県規則二二条一項に則つて算出され、別紙計算表のとおり三七一万九、三七九円となることが認められ、これに反する証拠はなく、右金額からホフマン式計算法による年五分の中間利息を控除した昭和四四年一二月一日の現価は二七二万一、四九七円となる。ところで、原告静枝が実際に退職した昭和四五年五月一六日退職手当一三一万一、〇〇〇円の支給をうけたことは、同原告が自認しているところであるから、右認定の得べかりし退職金額からこれを控除した一四一万〇、四九七円が、本件事故により原告静枝が被つた退職金の逸失損害額となる。

(3)  恩給の差額損失

原告静枝が前記予想退職時期に退職した場合には、在職期間が一七年を超えるので、岡山県吏員恩給条例二七条、四六条一項により、退職後毎年普通恩給の支給を受け得ることになり、前掲記の甲第六号証の一、二によると、右の場合の恩給額は別紙計算表のとおり少なくとも年額五五万五、七一八円となることが認められ、これに反する証拠はない。ところで、原告静枝が昭和四五年五月一六日退職後年額四八万七、九一六円の恩給給付をうけていることは、同原告が自認しているところであるから、右認定の得べかりし恩給年額からこれを控除した年額六万七、八〇二円が、原告静枝が本件事故により被つた恩給の逸失損害の年額となる。原告静枝は昭和四四年一二月当時四八歳であり生命表によれば七五歳までは生存可能と考えられるから、昭和五二年四月一日から七五歳までの一九年間の恩給逸失損害のホフマン式計算法による年五分の中間利息を控除した昭和四四年一二月一日の現価は五三万六、七六六円となる。

(4)  治療関係費

(イ) 入院費

いずれも成立に争いのない甲第一二号証の一ないし二六、同号証の二七の一、二、同号証の二八ないし四〇、同号証の四一の一、二、同号証の四二、四三、同号証の四四ないし五五の各一、二、同号証の五六、同号証の五七、五八の各一、二、同号証の五九、同号証の六〇の一、二、同号証の六一、同号証の六二ないし六五の各一、二、同号証の六六の一ないし三、同号証の六七ないし六九の各一、二によれば、前記認定の原告静枝が本件事故による傷害治療のため入院した期間中の川崎病院、岡山労災病院における部屋代、電気電話代、文書代等入院治療に附随する費用として合計五六万六、四三五円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。

(ロ) 付添婦の日当等

成立に争いのない甲第一三号証の一ないし四四によれば、原告静枝は前記入院期間中の昭和四四年三月三一日から昭和四七年七月二五日までの間の付添人日当、紹介手数料として合計二〇七万八、六一三円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。前記のとおり原告静枝の傷害は付添を要するものであるから、右費用は本件事故と相当因果関係にある損害ということができる。

(ハ) なお原告静枝は、右(イ)、(ロ)の費用の他に、公立学校共済組合から、同組合が立替えて支払つた療養費(治療費)の返還を請求されているとして、右療養費の賠償を請求し、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一一号証の一、二によれば、公立学校共済組合岡山支部長が原告静枝に対し、その治療費四五七万二、一八〇円を被告町から取立てのうえ右組合へ返還することを求めたことが認められるが、右治療費は、岡山県職員であつた原告静枝が地方公務員等共済組合法に基づく同原告の権利として給付をうけた療養給付の金額であつて(前記組合が原告静枝のために、立替え払いをしたものではない)、同原告が前記組合に対して返還義務を負うものではなく、同法に基づく給付については同法五〇条の第三者求償の規定により公立学校共済組合が給付額の限度で当然に、原告静枝が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得することになるから、右認定の返還請求があつたからといつて、原告静枝が被告らに対し右治療費の賠償を請求できるということはできない。

(5)  慰謝料

前記認定のような原告静枝の入院期間、および後遺障害の程度、内容、原告静枝の本件事故当時の職業、年令等諸般の事情(但し、原告静枝の過失の点は除く。)を考慮すると、原告静枝に対する慰謝料としては五〇〇万円が相当である。

(6)  右のとおりで原告静枝の損害は右(1)ないし(5)の合計額一、四二〇万〇、四七二円となるが、前記三のとおり本件事故の発生については原告静枝にも過失があるので、被告町に対しては右損害額の六割である八五二万〇、二八三円の限度で賠償義務を負担させるのが相当である。

2  原告喜雄の損害

(1)  入院中の雑費

原告静枝の入院期間中(昭和四二年一一月二九日から昭和四七年一一月一三日までの間通算一、八四〇日)の雑費として少なくとも原告喜雄主張の一日あたり金二〇〇円の割合による合計三六万八、〇〇〇円を要したものと認めるのが相当である。

(2)  将来の付添人日当

前認定のとおり原告静枝の後遺障害は生涯常に介助を要する程度のものであるから、同原告の退院後の昭和四八年一月一日以降生存可能と考えられる七五歳までの約二四年間毎日付添を要するものと考えられるところ、この間の付添人の日当として、原告喜雄主張の一日あたり八〇〇円(月額二万四、〇〇〇円、年額二八万八、〇〇〇円)は相当額の範囲内であると認められるので、右期間に要する付添人費用のホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した昭和四四年一二月一日の現価は二八七万九、五八三円となる。

(3)  原告喜雄の右(1)、(2)の損害の合計額は三二四万七、五八三円となるが、前記三のとおり本件事故の発生については原告静枝にも過失があり、これは原告喜雄の右損害の賠償についても斟酌すべきであるから、被告町に対しては、右損害額の六割である一九四万八、五四九円の限度で賠償義務を負担させるのが相当である。

3  原告紀子の損害

原告中島紀子本人尋問の結果によると、原告静枝、同喜雄の長女である原告紀子は、昭和四二年四月から東洋紡績の三重県所在の工場の女子寮の舎監兼教師として勤務していたが本件事故当日直ちに帰郷し、爾来昭和四四年四月頃までの間入院中の原告静枝の付添看護に当り、昭和四三年三月末日をもつて右会社を退職したこと、右会社に実際に勤務した昭和四二年一一月二八日までは月額二万七、〇〇〇円の収入を得ていたことが認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

右認定事実によると、本件事故当夜から前記五の1の(4)の(ロ)認定のとおり原告静枝のために付添看護人が雇われるようになつた昭和四四年三月三一日までの間は、原告紀子が付添人を雇うのに代えて原告静枝の付添看護に当つたものであり、これによつて少なくとも昭和四二年一二月から昭和四四年三月までの一六か月分の右認定の勤務による得べかりし収入を失つたものということができ、右認定の同原告の月収額と毎月の給与のほかに賞与等の臨時給与の支給が行われるのが通例であることを考え合わせると、原告紀子の右一六か月分の収入逸失額は少なくとも五六万円(一か月について平均三万五、〇〇〇円)になるものと推認することができ、かつ、右の額は当時における付添看護人の雇入れに通常要する費用額を超えないものと認められるから、本件事故に因る損害ということができる。

原告紀子主張の損害のうち、昭和四四年四月以降の分は、前記五の1の(4)の(ロ)認定のとおり付添看護人が雇入れられている以上、本件事故と相当因果関係ある損害ということはできない。

右認定の原告紀子の損害についても、前記三のとおり原告静枝に過失があつたことによりその六割である三三万六、〇〇〇円の限度で被告町にその賠償義務を負担させるのが相当である。

六  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求のうち、被告町に対する請求は、原告静枝が八五二万〇、二八三円、原告喜雄が一七五万四、九〇九円、原告紀子が三三万六、〇〇〇円およびこれらに対する損害発生の後である昭和四四年一二月一日から完済に至るまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては理由があるが、被告町に対する原告静枝、原告紀子のその余の請求、被告河本に対する各原告の請求はいずれも理由がないものといわなければならない。

よつて、各原告の被告町に対する請求を右の理由のある限度で認容し、原告静枝、原告紀子の被告町に対するその余の請求、各原告の被告河本に対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺井忠 竹原俊一 前田博之)

損害計算書

第一 原告静枝分

金二、三七四万五、八六九円

一 給与、賞与の損失分 金五〇四万六、三八八円

(イ) 金 二〇八万五、二三三円

昭和四三年五月一七日休職時から同四五年五月一六日退職時までに実際に支給された給与、賞与等の総額

但し昭和四三年度分は一月から五月一六日までの分は同年度の合計額一〇七万四、〇二八円から差引く。

(ロ) 金 三三三万四、〇九二円

昭和四五年五月一六日退職時から正規に退職する筈であつた昭和五二年三月三一日に至る間に受くべき年額四八万七、九一六円の割合による恩給総額(昭和五二年三月三一日以降の分は後に計算する)

(ハ) 金 一、一四六万五、七一三円

休職となつた昭和四三年五月一七日から正規に退職する筈であつた昭和五二年三月三一日に至る間、休退職にならなかつたならば支給されたであろう給与の総額

但し昭和四三年度分は同年分の総計金一一〇万五、九七二円の内から同年一月一日から五月一六日まで約四か月半分金四三万〇、四一〇円を差引く。

(ニ) よつて以上(イ)、(ロ)の合計金六四一万九、三八八円と(ハ)との差額金五〇四万六、三八八円

二 退職金損失 金二四〇万八、三七九円

昭和五二年三月三一日正規に退職する場合に支給される筈の退職金は金三七一万九、三七九円、これに対して昭和四五年五月一六日退職となり、実際に支給された額は金一三一万一、〇〇〇円で、これとの差額である。

三 恩給の差額損失 金一〇四万八、八七四円

(イ) 事故がなければ昭和五二年三月三一日の正規に退職後も尚日本人平均余命表による七五歳まで生存可能(現在五一歳、しかも胃腸が非常に丈夫であるから長命が予想される)で、そのときまでの恩給につき、昭和五二年三月三一日退職の場合の年額金五五万五、七一八円と昭和四五年五月一六日退職により現に受けておる年額四八万七、九一六円との差額は年額金六万七、八〇二円。

(ロ) 昭和四五年五月一七日から昭和五二年三月三一日に至る約六年と一〇か月半の間の差額合計金四六万三、三一二円

(ハ) 昭和五二年四月一日から七五歳に達する一九年間現在五一歳として計算の差額金一二八万八、二三八円。右金員につき二四年間の中間利息を控除すると金五八万五、五六二円

(ニ) 右(ロ)、(ハ)の各差額合計は一〇四万八、八七四円となる。

四 治療費関係 金七二一万七、二二八円

(イ) 入院費 金五六万六、四三五円

(ロ) 付添婦の日当等 金二〇七万八、六一三円

(ハ) 療養費(治療費) 金四五七万二、一八〇円

公立学校共済組合岡山支部から返還を請求されているものである。

五 慰謝料 金八〇二万五、〇〇〇円

(イ) 金三〇二万五、〇〇〇円

昭和四三年一一月二八日から昭和四七年一一月二九日までの間約六〇か月半の入院中、一か月金五万円の割合による慰謝料

(ロ) 金五〇〇万円

昭和四七年一一月退院後七五歳に至る間、意思表示能力を理解力もなく完全な廃人となつたことに対する慰謝料

第二 原告喜雄分

金三五〇万九、八一八円

一 入院中の雑費 金三六万八、〇〇〇円

昭和四二年一一月二九日から昭和四七年一一月一三日までの間五年と一五日間(一八四〇日間)一日金二〇〇円の割合による雑費の合計

二 将来の付添人日当 金三一四万一、八一八円

昭和四八年一月から七五歳に至る二四年間(現在五一歳)付添人雇入れのために要する経費(本人は大小便はもとより食事に至るまで自らなし得ず、誰かが付添わなければ寸時も目を放し得ない状態にある廃疾者である。)。

家庭にて病臥するため一般付添人の日当の三分の一以下にて一日金八〇〇円と見積る、その月額二万四、〇〇〇円、年額二八万八、〇〇〇円、その二四年分計六九一万一、〇〇〇円、二四年間年五分の中間利息を控除すると金三一四万一、八一八円となる。

第三 原告紀子分

金一六一万円

原告紀子は母静枝の入院と同時に勤務先の東洋紡績の勤務を辞して帰り、看病に当る、常時の看護には堪えられないので付添婦のあるときはこれを雇い入れ、困難なときには自ら看護に当つていた。その期間とその給与(東洋紡績の給与)損失は左のとおり、

(イ) 金七万円、昭和四二年一二月から四三年一月までの二か月間(一か月三万五、〇〇〇円の割合)

(ロ) 金一二二万五、〇〇〇円、昭和四三年三月から四六年一月までの三五か月間(一か月について同右)

(ハ) 金三一万五、〇〇〇円、昭和四七年四月から同年一二月までの九か月間(一か月について同右)、紀子は昭和四七年一二月二五日結婚他家の人となつた。

第四 原告静枝に過失ありとし、五分を過失相殺すると仮定しても右各損害額の半額の請求可能。よつて、本訴においては請求金を原告静枝金一、一八七万二、九三四円、同喜雄金一七五万四、九〇九円、同紀子金八〇万五、〇〇〇円とする。

計算表

1 給与金 12,141,275円(昭和43.1.1~52.3.31日の間)

計算基礎

<1> 昭和43年12月26日改正、昭和44年4月1日適用岡山県職員給料表教育職Ⅱにより算出

<2> 暫定手当は給料に繰入算出

<3> 昇給予測

<省略>

<4> 昭和44年12月以降期末、勤勉手当算出

<省略>

<5> 年別所得額

<省略>

<6> 上記<5>の各年度の収入の昭和44年12月1日の現価

<省略>

2 退職手当 金3,719,379円

計算基礎

<1> 勤続24年5月

<2> 基礎給与 96,108円 初任給、昇格、昇給等の基準に関する規則第22条第1項により2等級32号に昇格

<3> 退職手当に関する条例第5条第1項を適用

(96,108×150/100×10)+(96,108×165/100×10)+(96,108×180/100×4)

3 退職年金 金555,718円

計算基礎

<1> 恩給期間 12年2月 基礎給与 91,160×12

91,160×12×12/51=257,392

<2> 新年金期間 14年4月 基礎給与 106,545

106,545×2×14/100=298,326

<3> <1>+<2>=555,718

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